「きいちのぬりえ」 蔦谷喜一 原画展
2009年3月30日(月)- 4月18日(土)
九段の桜が美しい時期に皆様に御注目頂きたい展覧会は昭和20、30年代に子供たちの間で大流行していたぬりえ、「きいちのぬりえ」で知られる蔦谷喜一の 展覧会です。私共成山画廊のコレクションから少年少女を描いたぬりえのパッケージ用の原画、着せ替えの原画30点を展示致します。
繊細な輪郭線が描き出す当時のファッションや生活が思い起こさせるノスタルジーと、独創的な少年、少女の顔、そしてそのルックスやしぐさは時を越えて人々の心を惹きつける普遍の美しさをそなえた、独創的なアートだと私共は確信しています。
きいちのぬりえは多趣味であった蔦谷喜一が多方面から取り入れたセンスの結晶から産み出されたKAWAIIの原型であり、現代美術家、村上隆 氏のキュレーションによるパリ、カルティエ財団にて開催された「NURIE」展への出品を期に、今、世界中からの関心を集めています。
蔦谷喜一(つたや きいち)
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大正 3年 (1914年) |
京橋区に紙問屋を営む「蔦谷音次郎商店」の5男坊、7番目の子どもとして生まれる。 |
昭和 6年 (1931年) |
17歳 山川秀峰(やまかわしゅうほう)の「素踊」に心酔し、川端画学校で日本画を又クロッキー研究所にも通い、絵の勉強を始める。 |
昭和15年 (1940年) |
26歳 友人が持ち込んだ「ぬりえ」の仕事をアルバイトのような気分で 始める。この当時の名前は、「フジヲ」。 |
昭和20年 (1945年) |
敗戦。 |
昭和22年 (1947年) |
33歳 自分でぬりえを作り販売を始める。名前はキイチ/KIICHI |
昭和23年 (1948年) |
34歳 「きいち」の名で、絵描きとしてぬりえを描くことに専念する。 きいちの人気は20年間程続くことになる。 |
昭和34年 (1959年) |
皇太子殿下(現天皇陛下)の挙式。 |
昭和35年 (1960年) |
NHKと民放がテレビのカラー放送を開始。 |
昭和38年 (1963年) |
我が国初のアニメーション『鉄腕アトム』が放映されると、『狼少年ケン』などが後に続き、以後アニメブームへ突入していく。これらのテレビの影響で、ぬりえは下火となって、衰退していく。 |
昭和40年 (1965年) |
51歳 ぬりえブームが去り、リースや即売用の美人画を書き始める。 |
昭和53年 (1978年) |
64歳 資生堂ザ・ギンザのギャラリーにて「きいちのぬりえ展」が開催される。第2次きいちブームの火付け役となる展覧会であった。 |
昭和60年 (1985年) |
71歳 このころから「童女百態シリーズ」に取り組み始める。ひな祭りや羽根つき、七夕など、主に日本の文化や風習ななどを取り入れた童女の姿を日本画で表したものである。 その後、コマーシャルに使われることが度々あり、人々の記憶を呼び覚ましていく。 |
平成 5年 (1993年) |
79歳 テレビ朝日の自社キャンペーンに起用される。 |
平成11年 (1999年) |
85歳 早稲田塾のキャンペーンに起用される。 |
平成14年 (2002年) |
88歳 フランスパリのカルティエ現代美術財団にて村上隆がキュレーションする「ぬりえ展」に出品。 |
平成15年 (2003年) |
89歳 早稲田塾のキャンペーンに起用される。 |
平成16年 (2004年) |
90歳 サントリー「ぬりえ」麦茶のパッケージに起用。 |
平成16年 (2004年) |
90歳 喜多方市美術館で展覧会が開催される。 |
平成17年 (2005年) |
91歳 逝去。 |
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